吉村勇作体験記

いじめや誹謗中傷のない世界にするために

今苦しい人へ。心が温まる言葉と場所と・・・

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今苦しい人へ

新型コロナウイルスの感染状況は、ワクチン接種の進展や私たちの努力により、収束している。しかし、世界ではオミクロン変異株が流行し始め、日本でも感染が確認されてきている。緊急事態宣言が繰り返され、自粛生活の長期化によって、全国の自殺者数は増加している。精神疾患までいかなくても、生活が変化し、心が不安定になっている人も少なくはないだろう。

 

 

私は、小学校6年間、いじめを受けていた。小学3~4年生の頃は、通常通り学校に行くことができる日もあったが、母によく少し体調が悪いと電話をし、登校途中に帰宅することもあった。クラスの皆からは、菌扱いされ、私に触れた子は皆、誰かになすりつけたり、物になすりつけたりされた。プリントを後ろの子に渡すときに毎回、「1回机に置け」と指示され、机に置くと、後ろでプリントをパタパタと叩くような音が聞こえた。私が触ったプリントが汚染されたかのような扱いを受け、私も我慢ができなくなり、私に対してそのような行為をしてきたある一人の女子に、言葉で反撃した。私の性格上、反撃することができないため、震え声で半分泣きそうになりながら、言い返した。

 

女子A:「机に置いて」

 

私:「っなんで?」

 

女子A:「いいからさっさと置けよ」

 

私:「うるせーよ、なんでかを聞いてるんだよ」

 

女子A:「黙れ、こっち見るな、きもい」

 

 

言葉での激しいやりとりは30秒程度だったが、僕はその瞬間、今まで溜めていたものを少し出せて良かったという感覚が生まれた。しかし、やはり色々と言われた傷は癒えない。言葉の暴力は、心を全治3ヶ月以上の入院にする力を持っている。物理的に人を殴ったり蹴ったりした場合は、傷は可視化される。しかし、言葉の暴力は傷が可視化されない。自分からSOSを発信しなければ、誰かの目に留まることはない。けれど、私は親や担任の先生に、いじめられていることを長らく伝えることができなかった。言いたくても、伝えられないもどかしさ、どこかに、「こんなことで心配させたくない」という気持ちがあった。

 

僕の唯一の親友だった2人も、僕に対する言動に関しては、特に言い返してくれることもなく、ただ見て見ぬふりをしていた。その親友たちも、僕の影響で、厳しい言葉をかけられることがあった。

 

僕が、小学校6年間、いじめを受けながらも学校に通い続けられた理由として、好きなことを貫いていたことがあった。僕は当時、電車の運転手になりたいという夢があった。毎朝5時半に起床し、首都圏、全国の路線図を書き続けていた。そして、架空の鉄道会社を作り、学校と学校の最寄り駅を結ぶ電車や学校内を走る電車を空想の世界で作っていた。毎朝早く学校に行き、まだ誰もいない校庭や事務室の周りなどで、電車ごっこをしていた。他の子に見られることもあった。親友にも見られた。しかし僕はやめなかった。「小学校高学年にもなって電車ごっこかよ」と今思えば恥ずかしいが、当時の僕は好きなことを貫き続け、やり続けたことで、いじめの苦しみを乗り越えることができた。

 

最後に、今、学校や職場でいじめを受けていたり、ネットでの誹謗中傷に苦しめられていたり、息苦しいと感じている人に伝えたい。

 

好きなことを貫け、周りがなんと言おうと自分だけのレールを敷こう!